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Aestetica

コンピュータ将棋Selene(セレネ)を作っています。名前は西海枝昌彦(さいかいし まさひこ)と読みます。

母親の死

先月下旬頃、母親が亡くなりました。


私が生後六か月のときに両親が離婚したので、母子家庭で育ちました。母親は19才で出産。ひとりっこです。
物心がつく前に父親がいなくなった場合、その子供は結構なんとも思っていないもので、時代もあったのかもしれないけど周囲はことあるごとに気遣う。幼い私はその度に「はあ。そうですか」という感じ。父親に会いたいとも見たいともなんとも思わない。だいたいそんなもんです。

母親はチャキチャキの下町っ子で、がしがししゃべるし、すさまじくせっかち。サバサバしている。
ただ、働いてなんとかすることに夢中で、息子(私)に対して興味が無いことはないんだろうけど、あまり興味を持たないというか、こちらがわからないというか、そんな感じだったので、代わりに祖父・祖母に育てられました。

人情に厚く、いろんな人がついていくイメージ。あるときは新郎の友達として結婚式に出たのに、偶然にも新婦も知り合いで、その新婦が「とても親切にしてくれて、あなたがいなかったら私はここにいません」などと、泣きながら延々と感謝を述べられる会。みたいになってしまい、家に帰ってから「恥ずかしくってさー。まったくまいっちゃうよ」なんて言いながら、すごいスピードで着物から普段着に着替えるところを見たり。
そのことは、幼い頃としてはショッキングなことで、泣いて感謝されるほど世話した人がいるにも関わらず、自分の息子に対してはあまり世話してない。例えば、ひとつひとつは大変細かいことなんだけど、学校のテストで100点取った!⇒タバコを吸いながら、ぱっとテスト用紙を取って1秒くらい見て、「ふーん」と言ってそこらに置く。とか本当に細かいところ。そこは一応褒めておけよ(笑)とか思いますけどね。まあ、今思えば、母親のまわりの人に対して嫉妬していたのかもしれないなあ。

また、普段は祖母と一緒の部屋に寝ているんだけど「今日はお母さんの部屋で寝ましょう」みたいなことが1回だけあって、母親の部屋に行って一緒に寝たり。それも今考えるとなんでそうなってるの?
ただ、母親は基本的に私がめちゃくちゃ大事なので、いつも心配して、いつも気にかけている。冷静に考えても状況が良くわからん。

祖母は反面、過保護くらいの勢いで、なにをやっても私を褒め続けた感じ。

そんなこんなで、私が小学校4年のときに祖父が死んだあたりから放置具合も加速していき、さらにいろいろあって、私が16才のときには祖母と母とは別居して、いや別居とは言わないのか?普通にひとり暮らしなのか。で、離れて暮らすことになった。

そのあたりから他人から見たら不思議な感じの付き合いになるわけだけど、普通ならほぼ縁が切れるところ、一応母親なので付き合いは続ける。私も性格的に感情的にどうこう。ということは無く、理屈としていろいろ理解できる。という立場。多分、私と母親にしかわからない。
母親も40を過ぎたあたりからだいぶ円くなり、あまり育てることに熱心ではなかったことを、ものすごく後悔しているが、見栄っ張りなので息子に対してストレートに謝れない。しかし、こちらが困ったときには「親子の縁っていうのは絶対に切れないんだよ!」と言いつつ助けてくれた。

こちらは早くに結婚して子供が生まれて、最初は散々だったけど、仕事もだんだんとうまくいき、収入も増え、余裕も出てきた。
大きな取引に成功したときに母親に自慢めいて言ったとしても「うんうんわかった。それで××のことなんだけどね」と、相変わらず興味ないしー。

離れてから20年以上、会って話したのも電話で話したのも数えるほど。メールでは数カ月に1回くらいのやりとり。
娘はちょくちょく会いに行っていたので、娘経由で母親の近況を知る感じ。

そんな中、4年前に肺癌(正確には線癌)になったことを聞く。
癌になったことを聞いても、最初は、まあ、早期だし治るんだろうなあ。くらいにしか思っていなかった。聞いたら、大きな病院に行って最新の治療法と薬を使っているとのこと。
金銭的な心配はあったが、母親はどんなに困っても私からのお金は絶対に1円たりとも受け取らず、なにがあっても私に迷惑をかけてはならないと思っているため、状況も一切教えない。どこに入院した。世話してくれ、見舞いに来てくれ。など、一切無い。弱いところを見せたくないのでしょう。

調子が良くなると退院して、会って話すようになる。
たんだんやせ細っていったのだけれど、このときも母親が死ぬということが見えていない。いつまでもいるもんだと思ってしまう。

それからもいろいろあり、あるとき急に「もう、今日か明日には・・」という段階で連絡があり、急いで病院に駆けつけたら、既に意識は無く、ただひたすら呼吸だけしている状態。昨日までは元気にしゃべっていたとのこと。
話しかけてみると、私が話しかけたときだけ心拍数が上がる。定期的に心拍数の上げ下げがあるのかな?と思って、しばらくしゃべらずにいて、また、私と母親にしかわからないようなことを言うと心拍数が大きく上がったりする。今となっては聞こえていたと信じたい。

「俺に何か話すことは無いのか!ここで頑張って目を開けろ!」と言うと、呼吸も明らかに強くなったりもしたので、聞こえていた。聞こえていたということにしたいし、そう信じたい。
病室でふたりきりになって、ふたりきりだと伝え、心拍数もときどき確認。実に30年振りくらいによくしゃべった。生まれて初めて母親に対して本音で話したかもしれない。物言わぬ母親に延々としゃべっているのも相当だけれど、これが最後かもしれないと思ったら話題もあるもんだ。

次の日の明けて深夜、母親は息を引き取ったのですが、死んだ瞬間、急に聞きたいこと、知っておかなければいけないことがいくつもいくつも思い浮かんだ。
また、母親の手をにぎった記憶も無いんだけど、死んだ直後に一応にぎっておいた。これが最初で最後か。それも、いったいどういう親子関係だったのかと自分でも思うんだけど。

その先週、会おうと思えば会う機会があったが、そこは適当にメールを送っただけ。なぜこのとき会わなかったのか?と、何回も何回も思うのだが、時既に遅し。お正月も会おうと思えば会えたなあ。ここまで後悔したことは今まで無かった。
母親は折れないので、どこかで私が折れれば良かったのに。と、心底思う。なぜ突っ張ったのか。関係を修復する手段も機会も、こちら側でいくらでもなんとかできただろうに。思えば、ろくでなしの母親とろくでなしの息子だったなあ。

で、後悔の無いように、親孝行だとか何か話すだとか、やっといたほうが本当に良いと思うのですが、なかなかまあ、人に言われたとしてもそこまで実行しないもんですよね。それはわかってはいるんだけど、このようなことに直面すると何か伝えたくなる。
というお話です。